給湯器の思い出

給湯器の思い出

夕飯の後の食器洗い。毎日毎日のその作業が、わたしが中学生になってからの仕事になった。元々は部屋の片付けをしなかった罰として与えられた「布団を敷く」ということがわたしの仕事だった。そらが中学生になったときに弟にシフトしたのだ。そのとき代わりの仕事として当てられたのが食器洗い。この食器洗いという仕事、冬場は辛い。何せ水が冷たいからだ。冷たい水は指先の体温を奪い、触感覚を麻痺させる。下手をすればアカギレや手肌の乾燥を招く。だから給湯器が欠かせない。お湯の出ることの何と幸福なこと。手先が凍えることがなくなり、冬場の仕事も心持ち楽になる。そんな仕事をするようになって早十余年。実家の給湯器はわたしの記憶の中では三代目になっている。一回目の世代交代は単に寿命が来ただけだったのか。いつの間にか新品に変わっていた。何を機に買い替えたのかは覚えていない。それでも長らく使っていたのは機体の汚れ具合から確かだった。二回目ははっきりと覚えている。何せ割と最近の出来事だからだ。寿命ではない。まだまだ十分に活躍できるだけの元気さがあった。けれど残念なことに末端部ーーノズルヘッドがバコバコ外れてしまうようになったのだ。お湯を出すとガコンと嫌な音をたててシンクに落ちる。夕飯後の食器洗いのときは洗う食器が多い。そんな最中に見た目の割に重たいノズルヘッドが落ちられたら何を割ってしまうか気が知れない。何回か業者に修理してもらったり診てもらったりした。けれど、それでもノズルヘッドは落っこちることをやめない。わたしもそれに頭を悩ませられたり、神経を使って食器を洗ったものだ。ある日気がつくと新品の給湯器が台所で輝いていた。どうも、落っこちないように修理してもらうのと新しいのに買い替えるのとで、掛かるお金を考慮した上で後者がいいと母は判断したらしい。だから今ではノズルヘッドの落ちることのない新品の給湯器が実家のシンクで活躍中だ。食器洗いの仕事は今でもわたしが実家にいるときはわたしの持ち回りだ。新品の給湯器にはわたしも大変お世話になっている。願わくば、三代目はこれから長い付き合いができることを祈っている。

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